5月29日,横浜大空襲から72年のその日を迎えた。
私と横浜大空襲との出会いは,京浜急行「平沼橋駅」の焼け跡。
横浜と上大岡の間を京急で行き来する時、この焼けたような,駅の跡は何だろうと思っていた。
ある時、それがアジア太平洋戦争でアメリカ軍が行った横浜大空襲で、焼け残った駅舎の跡だと平和学習会で知り、また、戦跡ウオッチングで、横浜大空襲の悲惨な実態を教えていただいた。
今は、平沼橋駅も焼け跡は撤去されてしまった。
横浜駅西口で、「平和のための戦争展」が開催されていて、大桟橋の自衛隊艦船やパトリオットを見た後に、来た。
中国の旧満州地域に、長野県などの農民を移住させる、満蒙開拓団の展示もあった。
春に、長野県阿智村の「満蒙開拓平和記念館」を訪問していたので、感慨深くみた。
終戦の年に、満州に送り込まれた阿智村の人々。終戦間際に軍隊に置き去りにされ、戦後は国から棄民された人々。
日本への逃避行の中で、捨てられた赤ん坊や子どもたちを、山崎豊子原作の「大地の子」のごとく、育ててくださった中国の父母たち。
戦争は、一般市民子どもたちを見捨てる軍隊の非道さを浮き彫りにする。国が勝っても負けても、市民は命も財産も失う。見捨てられる。
手作りのQ&Aに木佐木県議が挑戦!9条に自衛隊を書き込んで、首相は何をするのか。
若者を戦場に送らせない。そのためにも、戦争がいかにばからしく、市民の命を紙くずのように扱った実態を伝える戦争展は必要!
横浜事件の展示もあった。国民を黙らせるために治安維持法違反を理由に、誰でも彼でも逮捕していった。そして、日本は戦争への道を転げ落ちていった。
治安維持法を反省しなければ、同じ道を歩むものとなる。平成の治安維持法/共謀罪は廃案に。