日本教育新聞掲載の「転ばぬ先の教育判例 学校経営改善のヒントに」を読んでいる。
この6月26日号までに15回にわたって、判例が紹介されている。
教員の自殺判例もある。
教師によるこどもへのわいせつ犯罪事例もあった。
教師の自殺事例には、教育現場って仲間に冷たいんだと、悲しくなった。
そして、以下二つの判例について紹介させていただく。
一つは、「中学2年の男子生徒が部活動の夏季練習中に熱中症で倒れ、多臓器不全により死亡した事案」
この事件では、部活動の顧問教師と校長の過失があるとして、国家賠償請求を認容した判決が出されている。
「事故当日の気温は、午前10時段階で、31・3度。グラウンドで40メートルダッシュを繰り返している中、7本目のダッシュ中に倒れて病院に搬送され、ひと月後に亡くなった」と記述されている。
生徒の個人差もあるだろう。
全員が亡くなってはいないのだから。
でも、こんな暑さの中で、何本もダッシュさせるような活動が、何の役にたつのだろう、と私は思う。
裁判で勝っても失った命は戻らない。
「熱中症への意識を高める
文科省指針 暑さ指数31度以上では運動中止」
とされているそうだが、教育の現場で改めて、考えなければならないことは、別にあるのではないだろうか。
もう一つの判例は、
友達に渡す物を自宅に忘れた小学校6年の男子児童が、友達と連れ立ち、自宅に戻ったが、その途中で、上着のポケットに入っていたパチンコ玉を投げたところ、民家の窓ガラスを割ってしまった。
学級担任など3人の教師から事情聴取を受けた後、校舎3階から飛び降り自殺を図り、重傷を負った事案。
「児童側は教師の事情聴取を違法として、損害賠償を求めたが、判決(東京地方裁判所、昭和57年2月16日)では違法性は認められないと、原告側の請求を棄却した」と紹介されている。
ガラスが割られた事件の発覚は、割られた所の家人が注意をしようとしたが、「テストがあるから」と逃げ出し、家人から学校への通報である。
小学6年生が、教師3人に廊下で取り囲まれ、「指紋をとればすぐ犯人は分かる」などと言われている。
近隣の家からの通報に、学校側は何とか「犯人」
を上げようとしたのではないだろうか。
学校現場で行われることは、すべて教育指導となるように、お互いが見合うことが必要である。
この時、何が、このこどもの次へとつながる指導となるのかを、熟慮するような状況ではなく、とにもかくにも、ここでは教師という権力をもった多数の大人が一人のこどもをとっちめている図ではないだろうか。
私も、わが子の行動にかっとなって、怒鳴ったこともある。
親はわが子だからこそ自分との見境が無くなってくやしくて怒鳴るわけだが、
学校は教師はそうであっては欲しくない。
この事例での「転ばぬ先の」改善のヒントは、
判決では、「注意義務に反した違法な行為とまでは到底解することができない」と述べたと、紹介しつつ、
「その注意義務とは
『児童の心身の発達に応じ、児童に苦痛を与えその人権を違法に侵害することのないよう配慮して、真相を究明すべき注意義務』である。
心したい。」(学校と法令遵守研究会)と述べられていて、ほっとした。
「転ばぬ先の」という言葉や「判例集」に、訴えられないように気を付けようというのか?とちょっと敏感になっていたが、
教育の現場で、起きている事件に、自分たちはどう向き合っていくのかとの
姿勢を感じたからだ。