横浜シネマリンで上映されている「ひろしま」をみた。私が生まれた1953年8月に公開された映画「ひろしま」は被爆した広島市民も参加して製作された。
1955年には、第5回ベルリン国際映画祭長編映画賞を受賞している。
ところが、配給元である松竹が「反米的」として、一般興行から排除したために、幻の名画とされてきた。
この映画の監督補佐を務めた小林太平さんの息子である映画プロデューサーの故小林一平さんが、「核兵器廃絶へ、世界は今、この映画を待っている」と自主上映を始めたのである。
今日は映画上映後に、現在自主上映を行っている小林太平さんの息子である小林開さんが挨拶された。
何故この映画ができたのか。
原爆のことが風化しかねない世論の中で、長田新編集の被爆した子どもたちの作文集「原爆の子」がベストセラーとなり、1952年に同名の映画が新藤兼人監督で製作された。
ところが、作文集の編集者である長田氏も、作文の作者である被爆した子どもたちも、その映画は「私たちの感じた原爆ではない」との感想を持ったという。
そこで、全国の教師たちがひとり50円を出し合い、本で描かれたとおりの映画を作ろうということになった。また、当時の広島市長の掛け声により、約9万人の人々が出演した。映画を配給する松竹は、全国の映画館で上映するに当たり、3つのシーンのカットを要求したと話された。
映画冒頭のエノラゲイのパイロットのモノローグシーン、登場人物みち子の友達が、「ドイツに原発が落とされなかったのは、日本人が有色人種だから」と語るシーン、子どもたちが被爆者の骨をみやげとして売るシーンだ。
しかし、これはカットするわけにはいかないと、映画の製作側が要求を拒否したことで、全国上映がなくなったということだ。
さて、映画「ひろしま」については、NHKが映画の放映も行い、番組としても取り上げている。
【被爆者たちが出演】上映中止にされた超大作映画『ひろしま』とは【ETV特集×NHK1.5ch】である。
その中で、2017年、核兵器禁止条約の採択に向けて被爆者として国連で演説し、ノーベル平和賞受賞式典で講演を行ったサーロー節子さんは「人間の角度から、核兵器廃絶を考えるには、これ以上の教材はない」「ぜひ世界中にお見せしましょうよ」と語り、オリバーストーン監督は「世界中の人に見てほしい映画だ」と語ったことを伝えた。実際現在映画は世界中で上映されている。
番組には、アメリカ・ハリウッドに拠点を置くメディア会社が、フィルムをデジタル化する資金を提供し、北米での配信を決めたことを伝えているが、その大手メディア会社プロデューサーのチャールズ・タベシュさんが、「この映画を配信できることを誇りに思う」反米映画というより「反戦映画だと思う」「原爆を投下するというアメリカの決断は、アメリカ人が向き合うべき問題」「その決断を支持してもしなくても、決断がどういう結果を生んだかは知っておくべきです」と語ったことが、強く印象に残った。