みわ智恵美

三輪 ちえみ
日本共産党横浜市会議員
駆けある記

どうしてここまでー女川で1

2011年5月29日

最終日、午前中仮設住宅へのお届け隊を終えた後、石巻市から十数キロ先が女川町と伺い、もし入れたら行かせてもらおうと向かった。

救援センターを出て、石ノ森萬画館のある島より一本海と反対側の橋を渡り、昨日お届

け隊で伺った不動町地域から牧山トンネルに入る。

トンネルを2本通り山を抜け出た市街地は、津波の被害で住宅や店の一階部分が破壊されている。電柱や街灯がなぎ倒されたままだ。なかなか手がつけられていない状況が見える。どこもかしこも破壊の後が見えてここは海が近いと実感する。街の名前も、「渡波」「浜松」とある。

県立水産高校、市立万石浦中学校が見えてきた。立派な建物が健在である。中学生の姿が見える。

街の雰囲気が変わった。街が何も無かったかのような状況なのである。

万石浦の地域に入ったことが分かった。私が見慣れている瀬戸内海の島の道のような緩やかなカーブとアップダウン。ブロック塀の家がぽつんぽつんとある。道のどこにもがれき一つ無い。万石浦の地域は津波の被害が無かったと話に聞いていたが、あの大津波がまるで別の世界の話のようなたたずまいだ。

これから女川に入る。


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