この本の編者である樫本喜一氏が本書の中述べておられることから一部を抜粋して紹介します。「」内は全て編者からのメッセージです。
「2011年は、戦後の素粒子論研究を湯川秀樹、朝永振一郎とともにリードしてきた坂田昌一の生誕100年にあたる年である。坂田は研究者として一流であっただけでなく、のちにノーベル物理学賞を受賞する益川敏英、小林誠を育てたように、指導者としても一流であった。」
私は、以前NHKで、益川教授がノーベル賞を受賞された時に坂田昌一教授の軌跡を辿った特集が放映されたのを見ました。
その時初めて坂田教授の存在を知りましたが、原子力行政に対して果たした重要な役割について、
「原子核特別委員会の委員長になった坂田(原子力問題委員会の委員長を兼任)は、拙速で原子炉の導入を進めようとする政府の動きに対し、科学者として何を優先すべきかを真摯に訴え、とりわけ原子力問題が政治化していくなかで、上の三原則を具現化すべく、あらゆる困難に立ち向かおうとした。」
という姿は取り上げられていなかったように思います。
そして、
「素粒子論研究者としてまさに花開かんとしていたとき、また原子力行政をめぐる動きも大きく転回しようとしていた矢先の1970年、坂田は病のために、50代の現役教授のまま、この世を去る(1974年にはいわゆる電源三法が成立。交付金付きの原発設置が一気に進む)。」
坂田さんは、ものすごい危機感を覚えていらっしゃったでしょうね。
「そして今日、東日本大震災、およびその影響による福島第一原発事故が起き、不幸にして坂田が恐れていたことは現実のものとなった。
本論集に収められた文章は、日本で原子力平和利用がスタートした時期に、原子力技術と社会の関係はどうあるべきかを追及した物理学者坂田昌一の証言集であり、活動の記録でもある。これらを読むと、我々は、まだ坂田が当時導こうとしてくれた場所へ辿り着いていない、それどころか、その遥か手前で立往生しているとさえ言えるのである(編者「解説」より)。」
というわけです。
2011年の出版ということですが、ご紹介します。
著者 坂田昌一
「原子力をめぐる科学者の責任」
編者 樫本喜一