毎年、神奈川県は5月10日に、神奈川県戦没者慰霊堂で、追悼式を行っています。県議の時は、地元でもあり毎年欠かさず参列してきたので、実に8年ぶりの参列でした。
畑野君枝衆議院議員、君嶋ちか子県議(川崎市中原区)大山奈々子県議(横浜市港北区)と私の4人が共産党からの参列でした。
女性4人でとても心強い。
これまでも知事の追悼の式辞には注目をしてきたが、今回もしっかりと聞きました。
県遺族会代表の方の追悼の言葉には、改めて親兄弟を戦地でなくされた無念が胸に迫りました。
お話しされたどなたも、平和の尊さ、そして戦没者の平和への願いに応えてこの平和を次の世代にも手渡したいとの内容は共通しているように思いました。
また、式辞等の言葉の中で、戦地での死亡が、苛烈な戦闘での死亡だけであるように話される事や、いかにも遺骨が帰ってきているようなお話は、戦争の本当の悲惨さを違うものにしてしまうのではないかと感じました。白木の箱には石ころが一つ入っていただけ、どこでどのようになくなったのかも分からないという現実が、遺族の苦しみをさらに激しいものにしてきたと思います。多くの兵士が饑餓や病気で亡くなった事を伝えていく責任が私たちの世代にはあるのではないでしょうか。
知事の式辞の中で、戦闘員だけではなく戦争によって多くの市民が命を落とした事が想像できる言葉がありました。大切な事だと思いました。現代の戦争で私たちが目の当たりにするのは、戦争の犠牲になるのは兵士だけではないということですから、ジャーナリストとしての視点が先の戦争にも注がれたのだと思います。
式典の後、野点処でお抹茶をいただきました。そこで、大山県議は、式の間に上空を軍用機が爆音を響かせて通り過ぎ、怒りを覚えたと話していました。私はうかつにも気がつかなかったのですが。
さて、神奈川県内選出である国会議員は結構な人数いらっしゃると思うのですが、参列したのは畑野君枝議員と他党の方が2名でした。後は秘書の方の参列と電報。
議員からの式電について名前を読み上げていましたが、私は近くで参列しやすいのですが、遠くから暑い中時間をかけていらっしゃって参列されている方とこれでは同列のようで、誠に違和感を覚えました。
「参列されず電報での式電ではお名前の読み上げはいたしません」と案内の時に断っておいては如何でしょうか。
また、議会議長や市長など、ご本人参列はお名前を紹介された方がいいと思いました。
式典後の写真をもう一枚。