今日は、被爆70年核兵器のない世界を2015年神奈川県平和行進が港南区を通りました。私は、港南区での出発式で、原水爆禁止港南区協議会を代表して挨拶を致しました。
「2015年5月13日 平和行進港南区 あいさつ
ご紹介いただきました、横浜市会議員のみわ智恵美です。原水爆禁止港南区協議会を代表してご挨拶いたします。
「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と刻まれている、広島平和公園に置かれている原爆死没者名簿を納めた石棺の正面におかれた原爆死没者慰霊碑。
この碑文の趣旨は、原子爆弾の犠牲者は、単に一国一民族の犠牲者ではなく、人類全体の平和のいしずえとなって祀られており、その原爆の犠牲者に対して反核の平和を誓うのは、全世界の人々でなくてはならないというものです。
そして広島市は、この碑文の趣旨を正確に伝えるため、1983年に慰霊碑の説明板(日・英)を設置しました。その後、2008年にG8下院議長会議の広島開催を機に多言語での新たな説明板を設置しました。 その全文は次の通りです。
この碑は 昭和20年(1945年)8月6日 世界最初の原子爆弾によって壊滅した広島市を 平和都市として再建することを念願して設立したものである 碑文は すべての人びとが 原爆犠牲者の冥福を祈り 戦争という過ちを再び繰り返さないことを誓う言葉である 過去の悲しみに耐え 憎しみを乗り越えて 全人類の共存と繁栄を願い 真の世界平和の実現を祈念するヒロシマの心がここに刻まれている。
としています。
私の卒業した広島女学院高等学校の先輩たちは、1、2年生、12歳13歳の少女たちが、真夏の8月6日早朝から建物疎開の作業にかり出されていました。そして原爆の投下を受け、生徒と教師全員が爆死しました。うすいブラウスはただちに燃え皮膚を焼かれ、その身体を隠す事も動かす事もできずに、亡くなりました。人が人としてが死ぬ事を許さない核兵器、その命の火が消えるまで苦しみを与え続ける核兵器は人類と共存できません。
今度は、日本人の上に核兵器が落とされるようなことはしないからというような狭い内向きの言葉でない事を改めてこころに刻みたいと思いました。
今、安倍政権はアメリカと一緒になって「平和」の名の下に、軍隊を海外に出し、武器使用も可能にしようとしています。
広島長崎の原爆投下という人類史上初めての核兵器の使用を受けた日本は、二度と殺し殺される国にはしない、若者を戦場には送らないと誓ったのです。その日本が、戦争できる国になろうとしています。どんな事があっても、隣の人と手をつないで、この企みは止めなければならないと思います。地獄の苦しみの中で、平和な未来を希求した少女たちの希望に応えるためにもと決意を新たにしています。」
4月から5年ぶりに国連で開かれているNPT(核不拡散条約)再検討会議に合わせてニューヨークに行かれた長岡さんから参加の報告がされました。