日野原重明聖路加国際病院名誉院長が105歳で、7月18日(火)亡くなられた。
その日から2ヶ月、今日、国連で始まった核兵器禁止条約の調印式の様子が報道された。
残念なのが、唯一の戦争被爆国日本の姿がそこに無いこと。
河野外務大臣が、きっぱりと「日本は調印しません」と。
核兵器廃絶の先頭に立って働くべき日本政府が、この人類の平和への取り組みを無視し、拒否している。
広島・長崎のヒバクシャのみなさんは、まさに命がけの運動をすすめてこられた。誰にもこの被爆の苦しみこの世の地獄を経験させてはならないと、原爆を落とした国を憎むのではなく、これで終わりにしようとする思いをひろげ行動されている。政府の態度はこの思いをも無視しているに等しい。
この報道に接して、日野原先生なら何と言われただろうかと思った。
日野原先生のお父様は戦前に私の広島の母校の学園長をされていて、学園長のご自宅が学園内にあったので、先生が若き日に病となった時に、私の母校の中で療養生活を送られている。
日野原先生は、若き日に出会った、広島の女学生たちが、原爆の炎に焼かれ、未来ある命が一瞬にして断ち切られたことにずっと思いを寄せてくださっていた。
聖路加病院の医師として東京大空襲の大勢の瀕死の焼けただれた市民の命と向き合う中で、戦争はダメ、一番大切なのは命ですと、憲法九条を守る女性のつどいで、1時間半、立ったままで熱く語られた。
(写真は別の講演会の様子だが、全くこの調子であった)
命のバトンを渡そうと、子どもたちに命の授業をしてくださった。こどもたちとミュージカルの舞台にも立たれた。
得意の歌も歌われた。
亡くなられた日の報道では、先生の平和への思い、日本国憲法を大切に思っていらっしゃったことを伝えていた。
日野原先生は日本国憲法について
「これほどしっかりと作られた憲法はこの世のどこにもない」
「人間の根本にかかわることは憲法に書かれている」
「9条は(憲法の条項のうちで)最も中心になっている」と語った映像が紹介され「『平和を守ることが命を守ることにつながる』、その意味から平和憲法の意味を強く訴えた日野原さん」と。そして、
「2015年、憲法9条の解釈を変更し、集団的自衛権を行使できるようにする安保法制の成立に際しては、一貫して反対の立場を貫きました」また、さらに、
「(政府は)アメリカが外国と闘うそういう闘いに、自衛隊も一緒に行動すべきだとエスカレートしていった」「自衛隊までも送るような憲法は本当の日本の憲法ではない」と関連法が成立した時に、はっきりと指摘されていたことも紹介された。
日野原さんは著書(明日をつくる十歳のきみへ)で、暴力と報復の連鎖を憂い、「「やられたから やり返すというのでは 永久にけんかは終わりません それが戦争というものの正体です くやしくても 自分のところで争いを終わらせる それが「ゆるし」です 戦争のない世の中をつくるためには みんなが「ゆるし」の 心を持つ必要があります」とのおもいを著されている。
ヒバクシャの方々の、核兵器廃絶への思いはまさにこれだと思う。核兵器禁止条約には、このヒバクシャの思いが折り込まれている。この思いが、世界を動かしてきたのだ。
いわさきちひろさんの絵に言葉を添えて、「いのちのバトン」を著された。
本当は、もっと、戦争のこと、平和のこと、憲法のことを語っていただきたかった。
日野原先生、ありがとうございました❗
その命のバトン私たちしっかり受け取りました。