岩手県盛岡で行われたセミナー(11月10日から12日)の2日目以降の報告を掲載する。
写真は、北上川の堤防。頑丈な石造りだ。二日間、岩手大学へとここを通って歩いて通った。
2日目は、高齢者の地域生活支援の分科会に一日参加した。
「貧困と剥奪された高齢者とその家族の人権を考える」~都市部と地方の孤立の実態から~と題して、助言者は明治学院大学の河合克義さん。講師は田園調布学園大学今井伸さん。岩手県立大学の菅野道生さん、医療法人共生会松野第二病院の長田くみ子さん、社会福祉法人中野区南中野地域包括支援センターの増子和人さん。コーディネーターは秋田看護福祉大学の脇山園恵さん。
司会を務められた文京区の石澤さんがまずはじめに、「声をあげられる文化を」「複合的喪失にある人たちのことを考えて、65歳以上のケアを地域で支援することの基盤としての行政のの姿を考えたいと」提起されて分科会は始まった。
今井さんから「都市部における普遍的な生活支援体制の構築に向けて」とする報告がされた。
介護サービス利用の適正化と地域包括ケアの限界が迫ってきている問題。介護予防できなきゃ非国民との風潮。困ったなと言える人のところにいける事業をつくらなければならない時期だ。民間の地域包括では限界が近づいている。
練馬区には直営の地域包括支援センターがあるということだ。これは行ってみなければならない。練馬と言えば、小中の給食を親子方式で地元野菜などをふんだんに使った直営の給食をやっている自治体だ。住民に寄り添っていると感じる。
生活保護の高齢者世帯の増加と生活支援の必要性について
高齢者は安定しているので、生活保護のケースワーカーの年二回の訪問で、孤独死の第一発見者になるということも起きているとして、生保とは別のワーカーの必要性が訴えられた。
そこで、練馬区での「生活保護受給高齢者世帯に対する訪問支援事業」が報告された。必要なサービスをできるだけ早く適切に利用して、要介護状態の改善に結び付ける事業だ。生活保護受給者はケアプランが立てやすいので、介護扶助の限界まで入れてしまうことがあるが、チームケア会議で、プランの必要性を検討できる。実際に、4年間で一人あたりの介護扶助費が半減している。
必要な人に必要なふさわしいサービスで、過不足なく生き生きと暮らしていけるよう支援する公的な役割が求められていることを実感した。
「医療機関から垣間見る社会的孤立」
医療の現場から、「私は大丈夫」という人を訪問してみたら玄関までごみがいっぱいということもあり、問題が見えた時には、身体機能が低下し、孤独死もあり得ると話された。医療の現場から今必要と感じているのは、社会福祉専門職、医療職の孤立した方への理解と姿勢。そして、生活保護受給者や身寄りのない方が入居できる施設と訴えられた。全くの同感である。
「被災地における高齢者の社会的孤立」の現場からの報告、都市部の地域包括支援センターでの実践の話に。高齢者の先行きの無さで、死をも覚悟して、人に迷惑はかけないという姿勢があることが話された。
この社会に生まれてきて、貢献されてきた方々の尊厳が最後までしっかりと尊重される社会であることを示していかなければならないと思った。
災害復興住宅。きれいだが、横のつながりが断ち切られている。
報告の後に、全員でグループ討議をした。私のグループは、元介護福祉士で現在老人相談員をしている方、医療ソーシャルワーカ、120件を担当しているケースワーカー、今井さん。
ホームヘルプの公的責任について考え、公的ヘルパーの必要性を強く感じるブレインストーミングとなった。
商店街の中にあるのが、いい。
北九州でも佐賀でもそうだった。