みわ智恵美

三輪 ちえみ
日本共産党横浜市会議員
駆けある記

終戦の日、県慰霊堂での戦没者追悼式典と平和の訴え宣伝

2019年8月15日

今日8月15日、74回目の終戦の日を迎えた。

神奈川県戦没者慰霊堂での式典に参加した。川崎市の石田県議も参列されていた。

日本軍国主義による侵略戦争と植民地支配が終わりを告げたその日、南方の苛烈な戦場、ジャングルで飢餓と病気とにさいなまれていた兵士に、米軍に占領され先祖からの田畑も墓も奪われた沖縄の人々に、見知らぬ地へと強制的に移送させられ過酷な労働に苦しめられていた兵士に、そのことは伝わっていたのだろうか。また、どんな思いで知ったのであろうか。

追悼式典に参加すると、いつも戦場でどんなふうに亡くなったのだろうか、どんな思いで過ごしていたのだろうかと兵士への思いが浮かんでくる。

日本が行った戦争で、国内で310万人以上、アジア太平洋地域の人々2000万人が命を奪われた。広島・長崎への原爆投下、横浜東京などでの米軍による爆撃空襲で、親を失った戦争孤児、子どもを失った家族の戦後も続く苦しみを思うとき胸が締め付けられる。

だからこそ、平和憲法が国民に歓迎され、国会でも全会一致で採択されたのだろう。

二度と戦争はダメと、一人一人がまっすぐに思ったのだろう。その思いをこれからもしっかりと受け継ぐ責任が私たちにある。戦争の犠牲になった方々への心からの哀悼の意を表します。その思いを表し続けることが憲法9条を守り生かす政治の責任であると思う。

追悼式典に参加後、今日は、港南台駅前広場で、安倍改憲ノー3000万署名と核兵器廃絶のヒバクシャ国際署名の呼びかけをした。

日本と韓国の間に起きている貿易の問題も、戦争中の徴用工など日本や日本の企業が行った真実から目を背けては問題の解決には全くならないと思う。

歴史に真摯に向き合う姿勢がいま求められていると思う。

足を踏んだ側は痛くもかゆくもないが、踏まれた側は確実に痛みを感じ、まともな謝罪がなければ癒えることのない苦しみを抱えたままではないだろうか。

タウンニュースに、今日の港南台での平和宣伝を告示していたので、3人の方が話を聞きに来てくださった上に、署名にもご協力いただいた。台風の余波で、ひとしきり激しい雨が降ったが、30分後にはすっかり晴れ上がった。

人通りは、いつもよりまばらな感じがした。署名板を持っている人のところに、すうっと近づいてきて署名をされる方。

応援していますよ、頑張ってくださいとお声をかけていただき、大変励まされた。総勢6人での宣伝だった。

私たちの宣伝が終了したところで、港南台9条の会の皆さんが宣伝を始められた。


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