みわ智恵美

三輪 ちえみ
日本共産党横浜市会議員
まあ、聞いてください

今、福島の話しを聞くー2 地震当日から避難所まで 村田さんの話し

2014年2月14日

村田さんのお話からまとめて報告する。その1

被害の実態は闇の中 突然故郷を追われて

語る村田さん横浜には三年前の3月29日に避難してきた。

見通しの立たない暮らしにくたびれている。

国の政策が住民の人権を守るどころか、真逆の方向にある。疲労感を覚える。

定年後故郷福島県南相馬市小高の実家に帰り、果樹園や畑を耕作して穏やかなくらしをしていた。そこに東日本大震災による原発事故が起こり、突然、故郷を追われて逃げ惑う日々を送る。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA3月11日当日、海岸近くのスーパーで地震に遭う。ものすごい揺れの地震だった。すぐに小高い山の上にある自宅に車で帰ったが、30分後に津波が。スーパーの駐車場の車が何台も津波で流されていた。

(左の写真は-2013年10月にみわ智恵美撮影の南相馬市の海岸近く、数本の松の木と電柱の向こうに見えるのが海,流されてきて放置されている車)

OLYMPUS DIGITAL CAMERA自宅は原発から16キロメートル。あまりの津波の被害に頭がいっぱいで、原発の事は考えなかった。

翌12日となりの人から「原発が爆発した、逃げろ」と言われたが、メルトダウンの事も分からなかった。

18時半「原発から20キロ圏内の人は退避」との事だったが、原発は深刻でないとの報道もあり、どこに避難するのかもわからなかった。

13日に、まわりが静かなので近所をまわってみたら誰もいなかった。「みんな逃げたのか」と役場に行くと二人いて、30キロ圏内の体育館を知らされ、避難して毛布にくるまって過ごした。

ケータイ電話通じない。15日までテレビ無し。新聞無し。カーラジヲを1時間くらい聞いて情報を収集した。ガソリンが無くなって心配になってきた。

次へ。

 

 

 


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