Q:事故の8年前に故郷に帰ったのは?原発をどう見ていたか。
A:故郷なので帰った。そのとき、原発がある事は気にかかってはいたというのは、福島県内のニュースでは三日に開けず、原発関連の事故等のニュースが流れていた。
Q:原発交付金の恩恵を受けていた地域の事について。
A:過疎地の弱みに付け込んで原発を造ってきた国の地方に対する考え方が現れている。麻薬患者と同じ構造が立地自治体では起こる。これを国策としてやってきた罪と比べれば比べ物にならない。
Q:子どもたちの事で。
A:子どもの甲状腺がんの報道があった。大した事は無いというキャンペーンにマスコミも巻き込まれている。福島や郡山は政治的思惑で指定されなかった。
3年間の子どもらの成長を思う。外に出られない、深呼吸できない、草にも土にも触れない状況である。子どもたちは避難するべきと思う。子ども被災者支援法は、子どもの健康を心配する避難は当然との考えでつくられるはずだった。
Q:福島がふるさとだが、原発問題について、みんなの口が重い。
A:福島では、神奈川県で話すようには話せない。しょうがない生活の為に残っている。放射能について声高にいわれると、神経に障る。
同じ仮設の中でも、賠償金の違いがあり、本質論が吹き飛ばされる。
ヒロシマ・ナガサキでは、孫の世代が語り部となっている。その自然がそこにあったという財産が引き継がれなければ大きなマイナスである。
長時間、お話しいただきありがとうございました。
私たちからも回りに被災者の思いを広げていきます。