現在の治安維持法と呼ばれる共謀罪。
では、治安維持法ってどんな法律だったのか。
私は、「治安維持法犠牲者に対する国の謝罪と賠償」を要求する運動(国賠同盟)に参加している。
実は、参加していると胸張って言えるほどの参加にはなっていないのだが、
治安維持法の犠牲者が、命をかけて侵略戦争に反対し、国の主人公は国民なんだということを実現するために闘ったことを多くのみなさんに知ってもらいたいと思っているので、参加している。
軍国主義に反対する俳人たちが、治安維持法違反容疑で1940年から約3年間、9つの会波44人が検挙されている。
夏の海 水兵ひとり 紛失す(渡辺白泉)
ナチスヒットラーでさえ容認しなかった特攻として多くの若者の命が散った。海に。この歌の作者も治安維持法の嫌疑をかけられ検挙投獄されている。
一昨年、集団的自衛権行使容認に反対するデモを題材に「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」と詠んだ俳句を、さいたま市の公民館が月報に掲載するのを拒否した問題を覚えていらっしゃるだろうか。
作者の女性は表現の自由の侵害に当たるなどとして、市と係争中である。
戦前、日本がアジア侵略の戦争へと突き進んだ時代は、世界中で人々が立ち上がり、民主主義が大きく高揚してきた時代である。日本政府はこの動きに対して恐れを抱き、人々の目や耳や口をふさぎ、声を上げるものへは激しい弾圧を徹底した。
口にするのもおぞましい拷問を実行し、平和を愛する自由な心を持つ人々を極悪人と報道し、人々を近づけないようにした。
その弾圧の道具として使われたのが、治安維持法。
日本美術会の代表を務めた永井潔さんは、国家賠償同盟の運動について「治安維持法は、特定の結社や、特定の思想に対立していたのではなく、人間性の全体に対立した法律であった。」として私たちに「人間性と人権を蹂躙した国家犯罪に対抗する広汎な統一戦線運動であるべきだと思う」と話されている。
人間の尊厳を踏みにじったものへ、二度と戦争への道に踏み込ませないためにも、犯した罪への謝罪と賠償を求める運動は、戦争しないときめた多くのみなさんと協力共同を広げていきたい。